Yo te amo

Te adoro


El Viaje

Cuba 1

2000年8月5日〜9月2日


出発前

革命記念広場の塔からハバナの町を見たところ緑の多い美しい町です。

コスタリカで買ったキューバのガイドブックにキューバに入国するためには前もってツーリストカードを手に入れておく方がよいとの事だったのでEASAという中国人がやっているキューバとグアテマラに強い旅行会社で20 ドルくらいで手に入れた。

ここは中国系のスタッフがいてとても親切でいい感じだったまた英語も通じてスムースに事が運んでお勧めです。久々に東洋系の人と会ってほっとした。キューバはコスタリカでも人気の旅行先らしく1~2週間くらいのツアーがどこでもあった。飛行機だけだと60日まで有効のもので400ドルくらいだった。ちなみに2ヶ月まではツーリストカードの延長だけでVISAなしでキューバに簡単に滞在できる。それからガイドブックにはキューバの入国審査の際に3nightsのホテルの予約がないとやたら高いところにむりやり宿を取らされる事があると書いてあったのでNeptunoという50ドルくらいのホテルに予約をとった。ただ実際は大丈夫みたいで大学の友達はそんなのしなかったと言っていた。一種の保険ですね。


キューバ入り

8/5日入国。キューバには夜に着いたがイミグレーションでなんとイブラヒムフェレールがいた。最初はまさかと思ったが、周りの人が写真などを取り始めたので僕も取ろうとしたら皆を抜かしてイミグレーションを通過していった。なんか幸先がいいなと思って嬉しかった。

タクシーでホテルまで行く途中道路などがとても整備されていて綺麗で緑も多くて美しかった。コスタリカではキューバは異常に貧乏な国であると皆が言っていたので意外だった。コスタリカよりよっぽど町が整備されていて綺麗だった。また夜10時すぎなのに妙に人が外に出ているのでお祭りでもあるのかと思っていたらこれはキューバ人の習性で暇なときは通りに出ていることが多いのだった。まさにA fuela! Para calle!の世界だった。後で大学の授業で教わったがキューバの文化は通りに生きているのだと聞いたがその通りだった。

ホテルはやたらでかいホテルでミラマールという高級ホテル並ぶところの海岸にあり海が見えた。僕の部屋は15階だった。部屋も広くアメリカのケーブルテレビが入っていてたがキューバっぽい雰囲気が無くなってしまうのでラジオを聴いていた。大きなプールが敷地内にあってそこでみんなが踊っているのでなにをしているのかと思ったがshowをやっているのだった。夜中の2時までやっているといってうるさいなと思ったがshowは12時くらいに終わった。

立派で美しいハバナ大学正門

通りの果物屋さん

次の日は日曜日だったがまず滞在予定先の家庭に挨拶に行った。海沿いのとても綺麗な家で気に入ったがやや高かった。でもまあいいかと1月お願いすることにした。それからハバナ大学へ歩いて行きスペイン語コースの入学手続きをしようとしたが警備の人に今はバケーションだから入れないと言われ附に落ちなかったが、引き下がってハバナ市内を見物する事にした。歩いているとコロニアルな町並みの中で裸の子供たちが元気に通りで遊んでいてなんか夢の様な感じがして感動した。

通りを適当に歩いていると太鼓の音が聞こえて、通りにいたキューバ人がRumbaだと教えてくれた。人が一杯集まっていてキューバ人と観光客がアフリカンな太鼓と歌で踊りまくっていて、さすがキューバだと思った。

その後海岸(マレコン)の方へ歩いていくとParque Maceoという公園があり子供たちが野球をしていた。それからマレコンに座って海を見ていると子供たちが堤防(マレコン)から海に飛び込んで遊んでいた。

写真を撮っているとキューバの女の子が二人と赤ん坊がいて僕に声を掛けてきて一緒にジュースを飲んだ。子供がいる子はMilediaといって赤ちゃんはDanielaという名前でもう一人の子はDeniaという名前でPinar de Rioというはバナナの隣の県の大学生で夏休みなのでハバナに遊びに来ているとのことだった。Deniaのスペイン語は只でさえ聞き取りにくいキューバのスペイン語の中でも特に聞き取りにくく90%位不明だった。その後家が近いからと家に行きテレビを見てホテルに帰ったが夜カーニバルがあるから来いと言われてDeniaとカーニバルを見た。リオのカーニバルの縮小版見たいな感じで結構面白かった。キューバ人がカーニバルの山車で踊る黒人をみてやたらと大声で「Bonita!」と連発していた。

Miledia, Daniela y Denia

海に飛び込む少年たち


入学手続き

大学構内の中庭

次の日は結構大変な日だった。大学は第一月曜日に入学手続きが9時からあるとガイドブックに書いてあったので大学へ行くとまたしても門番にVacationだから大学は開いてないといわれ焦った。仕方が無いので少し離れた外国人向けの教育の手配をしてくれるという事務所へタクシーで行き事情を話すと、そんなことはない開いてる筈だから大学へ戻れと言われ、またタクシーで大学に戻った。今度は正門ではなく裏門から入ったがそこではそれらしい外国人が多数いたので安心した。無事手続きをしてクラス分けのテストを受けてオリエンテーションをしてその日は終わった。

オリエンテーションときsilkeというドイツ人の女性と知り合いになり入学用の写真を一緒に撮って昼ご飯を食べた。彼女は動物がかわいそうだからと菜食主義者でサラダとコングリ(赤飯みたいな豆ご飯)しか食べなかった。僕は一ヶ月コースで彼女は2週間のコースだったが今後行動をともにする事になった。

Capitolio-立派なアメリカ統治時代のホワイトハウスをモデルにしそれ以上のものとなったもの。

それからまたDeniaの家に行くとCapitolioの周辺を案内してくれた。このときMilediaが犬のふんを踏んづけてしまって面白かった。ハバナ市内は歩道に犬の糞がやたら落ちていて僕も常に気をつけて歩いていたのだった。

Milediaが僕に兄弟何人いる?Cuantos hermanos tu tienes?と聞いてきたがぼくは手何本ある?Cuantos el manos tu tienes?と聞こえたので変な質問するなあと思いながら。2本に決まってるじゃんと手を見せたところ大笑いになった。その後もdos manos....とやたらこのネタで笑っていた。(手のスペイン語は正しくはla manoですね。)またDeniaの前髪がやたら短くなっていたのだが昼寝している時にMilediaに切られたと言っていた。Milediaはかわいくなったと笑っていた。この二人は見ているだけでなんかとっても仕草とか話し方がキューバっぽくてかわいくてとっても楽しかった。

この二日後くらいにDeniaはPinar del Rioに戻ってしまい僕はとても残念だった。


ハバナ大学スペイン語コース

大学の授業は初日から混乱していた。用意していたクラスと先生の数が合わずに僕たちの先生がいないかったのだ。ぼくはprimero plusという初級より一寸ましというクラスだったがその先生がいないとの事だった。そこでPurimeroかSegundoかどちらかを選べと言われたがまたアルファベットの発音から習うのもいやだと思いSegundoにしたが、そのクラスはかなりハードだった。生徒は13人もいるし、「通りでは誰もゆっくりは喋らないだから俺は他の先生と違ってゆっくり喋ったりはしない。」とかいっていきなりキューバの歴史の講義をはじめて聞き取りが難しかった。只文法は割と簡単で何とかついて行けたが僕がクラスで最低のレベルであることは明白で、ほかの生徒は割と分かっている様子だった。

3日目位に新しい先生が来たからと言うことでpurimero plusのクラスに戻された。ようやくなじみ掛けてクラスに知り合いも出来てきたのに残念だった。そのクラスは生徒の語学レベルはやや下がったが先生がやることはあまり変わらなかったのでクラスを移った意味ないと思った。いずれにしても先生の言うことの半分位しか聞き取れなかったが適当に質問をかわして授業を受けた。

授業はかなり適当で文法の説明もなにもなしに問題を解かせたりするので非常に訳が分からなかった。他のクラスでも同じようなものだったらしく数日で出席者が3割くらいは減ってみな休みがちだった。カナダ人の大学生も本国で勉強してた方がためになったとか言っていた。授業料は月250ドルくらいと安いが生徒数も多く、あまりハバナ大学での全くの初心者のスペイン語学習は勧められない。ただ中級者などには先生がしゃべりまくるのでいい勉強にはなると思う。また僕のような初心者でもドイツ人やイタリア人などヨーロッパ系の人と連むと彼らもスペイン語を練習したいのでスペイン語で話すのでこれが僕にはとっても役に立った。只アメリカ人はやたら英語で話そうとするし、授業中ですら英語で話すのであまり練習にならない。ぼくらのグループにもアメリカ人がいたがマイペースで僕らがスペイン語で話そうとしてるのにやたら英語で話すので一寸僕らは顔を見合わせたものだった。

学校はU.S.からの大量のGlobal exchange(合法入国)での若い北米人が一大勢力を築いていて40%位いたと思う。黒人もいたが白人と黒人間にはやはりなにか溝があるようで表面上でしか仲良くしていない感じが伺えた。キューバには今でも黒人差別はあるらしいが僕からみるとかなり仲良くやっている感じである。次に多かったのはヨーロッパ系の人々でバケーションがとれるおかげで1月くらいの予定で旅行がてらキューバに来たという20~30台の人が多いようだった。中でもドイツ人が多くて彼らはメンタリティーが日本人に近い感じでなんか通じ合える物があった。一番にぎやかで目立っていたのはやはりイタリア人で元気いっぱい、おしゃれでイメージ通りでスペイン語も歌うようにしゃべりまくる。ある時そのイタリア人の面白いやつAndreaが面白いネタでみんなを笑わせていた。

再現VTR「僕が学校から帰ってさ、昼寝して起きたら、頭がもぞもぞしたんだよ。何だと思ったらクカラッチャー(ゴキブリ)!!!がいたんだよー。こんなにでかくてびっくりしたー。」ともじゃもじゃ頭を振り払うジェスチャーでみんな大笑い。

意外と日本人もいて(7~8人はいた)僕と夏休みで来ている女子大生を除くと結構長期、半年とか1年の人が何人かいてキューバ事情を一番知っていて色々教えて貰って助かった。さすがにスペイン人はいなかった。

休み時間にくつろぐ学生たち

日本の女子大生も夏休みで来てました。凄いよね女の子一人でキューバまで来ちゃうんだから。

クラスメートの皆さん。後ろのカーリヘヤの彼(自称革命家)はアメリカにも革命が必要だ!といつも力説してました。

学校の行事でホセマルティ記念館へ


Calle

     


カルナバル

7〜8月はハバナでは毎週末にカーニバルがあり金曜日と土曜日はリオのカーニバルの縮小版みたいな山車が出て観光客や地元の人で毎晩賑わっていた。

カーニバルに出演している人たちは地元の町内で結成されているようで昼間からみんな集まって衣装などを車などに詰め込んでいたりしていた。

屋台も沢山出ているが特にビールをタンクに入れて売っていて豪快だった。キューバ人は持参したペットボトルにビールを詰めてもらってペットボトルをラッパ飲みしていた。ふつうの紙コップに入れてもらうと5ペソ(25円)くらいだった。このビールの味は飲んだことの無いくらい不味いしょぼい味のする薄めたアルコールのような味であったが、酔っぱらうのには問題ないだけのアルコールが含まれているようで、キューバ人はこれを飲みながらご機嫌で踊ったり叫んだり喋ったりして大いに楽しんでいた。

相当喜んでます。コンドームは僕が出したんじゃありません。念のため。

カーニバルでビールをたくさん飲むと当然トイレが必要になるが(野外と言うかマレコン沿いの道路を夜になると封鎖している。)男性はいいとしても女性はどうしているかというとちゃんと簡易トイレがあちこちにあった。きちんとしてるなと思いきや単なる柵で囲っただけのものでその柵トイレの周りにはおしっこ垂れ流しで湖が出来ているので気をつける必要があるのだった。

この柵トイレは一畳ほどの大きさであるが床はなく道路というか使われている状態ではおしっこの湖のうえにつま先立ちしながら用を足すもので列が長くなってくるとキューバ人の女性は同時に4人くらい用を足すとの事だった。さらにここでうんちまでしてしまう不届きものもいるそうで中は大変な事になっているのである。

ある時僕の友達のドイツ人男性が用を足しているときキューバのセクシー衣装をきたセニョリータが酔っぱらっていてのぞき込んできて早くしろーとかいってからかってドイツ人男性が顔を赤らめるという事件も起こった。このようにキューバ人の女性は男性もだがとっても気さくで見ているだけで面白いのである。

ビールタンク

僕がカーニバルで会った子供と仲良くなって(大人と仲良くなれっつの)子供が僕の事をMi Papaとまで呼ぶようになったのであるがその親戚の女性がやってきて話をしていたら彼女は日本人はみんな忍者だから子供の事心配したといった。手裏剣を投げたり建物の屋上に飛んでいったりするのではないかと本気で思ってたといって僕を笑わせた。僕と話してあれはテレビだけのことと知って安心したと言っていた。確かにキューバではやたら日本や中国の忍者ものやカンフーものがテレビで放送されていて、キューバ人は喜んで見ている。テレビといえば以前「おしん」が大人気だったらしく会うキューバ人はほとんど「おしん」の話題を話した。かわいそうでいっつも泣いちゃったとかいう。只彼らはサ行が苦手らしく「おちん」と言うのでいつもちょっと違うんだけどと思っていた。そういえばキューバ人はSを発音しないことで有名であるがそのせいもあるのかな。

Mi PaPa~

Cuba 2へ続く

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