Yo te amo

Te adoro


El Viaje

Cuba 2

2000年8月5日〜9月2日


生活・家族・親戚・泊まり客


住んでいた家のバルコニーからの眺め!

僕は以前にキューバで滞在したことのある友達に泊まる家を紹介してもらったが、そこはマレコンに面したアパートの4階で食堂でご飯を食べている時にも海が見えるというとてもすてきできれいな家だった。ママ(と呼べという)が料理が上手でご飯が美味しかったが、何しろ暑くて夏ばて状態だったのでご飯があまり食べられず、ママに「私のご飯美味しくない?」と心配させてしまった。

食事はまず果物がたっぷり出た後スープが出て、肉(魚)料理、サラダ、ご飯というフルコースで肉や魚は油で揚げたモノで毎晩出て食べるのに苦労した。Langosta(ロブスター)も滞在中に3回も出て豪華だった。ママはお醤油も持っていたのでさっぱりと魚を食べることが出来た。最後にCafeを飲むのだがキューバではCafeと言えばエスプレッソだった。僕はコーヒーは朝だけにしてもらい夜はTe紅茶を出して貰った。至れり尽くせりだった。

マレコンに面したバルコニーにて。Santiagoから夏休みに来た姪たち。Lindisimo !

僕が泊まっていた8月はキューバでもバケーションの季節なのでSantiago de CubaのママのSobrina(姪)たちがハバナに遊びに来ており時々泊まっていったりして一緒にゲームをしたりしてだらだらと過ごした。キューバは昼は暑いので家の人も特に用事が無ければなにもしておらず、旦那は一日中ベッドに寝ころびながらテレビを見たり英語の勉強をしたりしていた。ママはよく長電話をして楽しんでいた。市内電話はただらしかった。お客さんが来るとpapaはよくトランプの手品を披露していて、その後皆でボードゲームをやったりした。結構単純なゲームを大の大人が喜んで何度もやっていたのでもし今度行く機会があったら何か面白いゲームをお土産に持っていこうと思った。

キューバ人はやたら親戚つき合いが密で毎日の様に親戚が訪ねてきていたが、一度パーティが会ったときビールを飲んだ後、17歳くらいの息子が母親に膝枕で頭を撫でてもらって満足そうにしていてびっくりした。こちらでは親子関係がとっても愛情深いようで親子でよく抱き合っている。

トランプをするPapaとSoblina

この家は泊まり客用に大きな部屋が2つあり僕が泊まっている間に2組泊まっていった。1組はスペインのバルセロナから来た女性2人組で一人がキューバが2回目で前回もここに泊まったとのことで、「外で食べるよりママの食事の方がよっぽど美味しいでしょう。」といっていた。彼女たちはレンタカーでSantiago de Cubaまで行って帰ってきたと事で、Trinidadが一番良かったと行っていた。彼女たちは一晩だけで明日は帰らなければならないから今夜は絶対踊る必要があるのよと行ってHabana Libreのディスコに行って夜中の3時頃帰ってきたらしい。

もう一組はイタリア人の看護婦二人組で僕がキューバを去る3日くらい前に来て1週間くらい泊まると行っていた。彼女たちの一人も以前泊まったことがあるというリターナーでお土産として膨大な量の薬を持ってきていた。

ママとスペインバルセロナのお嬢さんとロブスター!!!

僕が来た8月はじめはハバナでも例年になく異常に暑かったらしく僕は完全にばててしまって学校から帰ったら良く昼寝をしていた。とにかく外に出て動くと汗だくになるのでいったん帰ってシャワーを浴びると外に出たくなくなるのだった。それでもSilkeなどの学校の友人はとっても活動的で毎日Habana Viejaなど精力的に観光地を回っており、「最後の方には疲れた顔でバケーションのバケーションが必要だわ。」と言っていた。ママは僕が勉強せずに寝てばかりいると勉強しなさいと言ってスペイン語のテストをしたりした。

英語ペラペラの娘さんと姪たち。Wow Carlos Vivesとか言ってます。


物価

キューバは社会主義であるため月給が10ドル〜20ドル位でキューバでの物価はキューバ人向けにはとても安く映画(アメリカンビューティとか見ました。)が2ペソ(10円)床屋が10ペソ(50円)、街角で買うピザが5ペソ(25円)などとなっているが、外国人向けのタクシーに乗ると少し走るとすぐに3~4ドルになって高い。またホテルも高いため長期泊まる人は一般家庭(Casa Particular)に泊まるのだが一日20~30ドル位はする。ただ長期滞在している人は食事付きで月200ドル位で泊まっている人もいて、探せば安いところもあるようだ。

またキューバ人向けのレストランは安いが外国人と分かると高くなったり、食べられなかったりするので注意が必要である。但し大学の学生証などを出せば何とかなったりしたが何しろサービスが異常に遅く注文してから1時間近く待ったりするのであまり入らずに街角のピザ(チーズ載せパン)やカシート(お弁当)などをよく食べた。

ハバナの出勤風景:Camello(ラクダ)バス


Buena Vista Social Club

ドイツ人の友達Andoresが「ブエナビスタソーシャルクラブのコンサートがあるから行かないか、僕がチケット買ってくるから」とお誘いがあったのでSi Como No!もちろんということでSilkeとAndoresのもう一人の友達とコンサートへ行った。コンサート会場(その名もテアトロカールマルクス)で待ちわせをしている時大学の学生の姿も結構見てみんな来ているんだと思った。

会場の前で怪しいキューバ人が日本語で近づいてきたのでダフ屋かと思ったら単に日本語の勉強がしたいキューバ人だった。彼はルベンゴンザレスの友達であると写真を見せてきたのであるが入場チケットは持っていなくてますます怪しかった。後日彼をハバナ大学でまた何度も見たが常に日本人を捕まえては勉強をしている人であると分かった。仕事は観光ガイドらしかったがいつ仕事をしているんだという感じだった。彼を知る人によれば捕まるとしつこいから程々に相手をしたほうがいいとの事であったが、別に害はない人で時々ウオークマンを聞きながらマラソンしながら大学から家に戻っていった。

会場に入るとなんと我々の席は前から4列目というとてもよい席であった。チケットの入手はコンサートの前日くらいだったのでびっくりした。会場は満杯で観光客などの外国人が半分くらいいるような感じだった。実際キューバでBVSCのコンサートは初めてだったらしくキューバでは知名度がほとんどなかったらしい。家の人も知らなかったし、タクシーの運転手なども知らなかった。只この日のコンサートの模様がテレビで放映され知名度が格段に上がったらしい。実際この日はテレビカメラが何台も入っており、日本のテレビ局も来ていた。

コンサートでの一番人気はルベンゴンザレスで一人で歩けないほどよれよれしていたのにピアノの前に座ると素晴らしいピアノを披露して、さらに低い音から高い音へ引いていくときにさらにピアノの鍵盤の無いところを引くふりをするという茶目っ気たっぷりステージにみんなが喜んでいた。

コンサートが終わったあと皆で近くの海岸まで歩いて行きビールを飲んであれこれと話をした。トイレは近くに無かったのでみんなから離れたところで用を足すのだが、Andoresが僕に「Donde esta el bano paticural?」と聞いてきたのに受けた。

解説:ふつう我々学生の様な旅行者が住んでいる一般家庭をCasa Paticural(特定の家)というのだがそのCasa(家)の部分をBano(トイレ)と言い換えたのだ。


その他音楽イベント・ディスコなど

ハバナでは通りを歩いていると昼間からバンドの音楽が聞こえてくることが結構あるがそれはプロのバンドが練習しているのである。ある日Silkeがそんなサルサバンドの一つCasinoのメンバーと知り合いになってそのライブに行く事になった。場所は革命広場にあるCafe Cantanteというハバナでは有名なクラブで昼間は割とマイナーなバンドが演奏して夜はメジャーなChalanga とかNGとかBanboleoなどが演奏する場所となっている。彼らはマイナーバンドであったので昼のライブだったが我々はハバナ大学の学生証を見せてペソで入場出来たので1ドル程度で入れた。ライブは結構盛り上がってみな踊ってモヒートやロン(ラム)を飲んで楽しんだ。キューバ人はグループでいるとよくロンをボトルごと買ってがぶがぶ飲んでいる。

練習するソンのバンド

別の日にはここにCharanga Habanela(20ドル)を見に行ったが、11時スタートのはずが演奏が始まったのは1時半くらいで終わったのが3時半位だった。これはふつうの事らしかった。Charangaはめちゃくちゃハイテンションな演奏と踊りで盛り上がっていたが、音がでかすぎて僕は耳が痛かった。これも普通らしい。

コスタリカ人の踊りは大して巧いとは思わなかったがキューバ人の踊りは異常に巧い。特に黒人系の人は特別で男一人に女二人とかその逆などでもリハーサルなどをしたかの様にスムーズに踊って見ているだけで楽しめる。これはもう血が違うとしか言いようがなくあの身のこなしとリズム感は練習してもまねできないと思った。よくあのTimbaのリズムでスムーズにサルサが踊れるものだと思った。

Charangaがあった週には翌翌日にNG la bandaがありその翌日がBanboleoというキューバンサルサフルコースが味わえる週であったが、僕はそれほどキューバンサルサ(Timba)が好きでは無かったのでBamboleoは一寸行きたかったが結局行かなかった。これらのコンサート情報はあまり前もって告知がされないとの事で(なぜなら告知しても滅多にその通りにならないかららしい)直前に口コミやラジオなどで情報をキャッチするしか知るすべが無いらしい。

僕のお仲間だったAndrea, Silke, Andreas冷房が異常にきつくてとても寒かった。

左上:お年寄りも上手にサルサを踊ります。


Playa

絵に描いたようなイメージ通りのカリブ海(ホントはメキシコ湾です。)

右:学校の仲間。ドイツ人のClaudiaは全くの初心者からたった3ヶ月でProfessinalのコースに上り詰めておりべらべらスペイン語を喋っていた。イタリア人の Losiにとってもスペイン語は似ているとのことで上級クラスに入っていた。

キューバといえば一般的にはビーチリゾートとハバナ観光がメインとなっており、大学の学生も週末はビーチへというスケジュールだったようだが僕は海はどこでも一緒だからと思ってお金に余裕が無かったこともあってあえて行かなかった。只最後に学校のイベントで皆で行ったときにとってもビーチが美しくて良かったのでもっと行っておけば良かったと後悔した。

バラデロがビーチリゾートして有名であるが、ハバナ市民も行くという学校からバスで20~30分で行けるPlayas del Esteで十分きれいだった。バラデロに行ったことのある人の話によるとあまり変わらないと言うことで、バラデロまでいく必要は無いとのことだった。


Malecon(堤防)

   


ゲバラの入れ墨

フィデルカストロが演説してた

ある日学校へ向かう途中胸をはだけたおじいさんがいてなんと胸にチェゲバラの入れ墨があって思わず目を奪われてたら話しかけてきて「これはコンゴに兵隊として行ったときに彫ったモノだ。」と教えてくれた。キューバは以前アフリカなどの革命に介入していたのだ。おじいさんはのどが悪くて薬をもらいにいく途中だったのだが学校まで一緒に話して別れた。

キューバでは毎日町を歩いているとなにかしら写真を撮りたいモノがあっていつもカメラを持っていたのだがこの日は忘れてしまって写真が撮れなかった残念だった。


キューバを去る

とっても人なつっこいキューバの家族

キューバには2ヶ月くらいいたかったのだが、僕の持っていたクレジットカードがCiti Bankカードでお金が自由に引き出せなかったので仕方なしに1ヶ月でキューバを去ることにした。ドイツ人のSilkeはとても優しい人でお金貸してくれると言ってくれたが、返すのも難しいので遠慮した。ハバナ大学で会った外国人は何故か皆いい人ばかりで親切だった。

お金が無かったためハバナ以外行けなかったが次回はキューバの他の場所も行きたいと思う。これからキューバへ行く方にはアメリカ系以外のカードでVisaとMastarの2枚以上のカードを持っていくことをお勧めします。


Habana Viejo

   

グアテマラ編へ続く


   

   

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