Yo te amo

Te adoro


El Viaje

Costa Rica

2000年7月9日〜8月4日


出発前後

Nature Coutry Costa Rica-ポアス火山と滝

とにかくラテンアメリカに行こうと決めていたのだけど、最初はどこに行くか少し迷った。図書館で借りた地球の歩き方にはコスタリカが安全で語学学校が一杯あると書いてあったので第一候補だったのだけど知り合いのラティーナが南米行くならエクアドルに知り合いがいるからそこで泊まればといわれ飽きたらコロンビアのお母さんのところに行けばいいからといわれ迷ったが、エクアドルもキトでは無くてグアヤキルだったので治安が心配になり外務省のHPで調べたらコロンビアもグアヤキルもかなり危険で旅行をしてはいけない地域に含まれていることが分かった。彼女がグアヤキルに問い合わせたところ一寸前までは危なかったけっど今は安全といっていて、色々連れていってもらえるよと言われて迷ったが結局安全というところに惹かれてコスタリカに行くことにした。

飛行機の手配は名古屋空港からでも行けたがとても乗り継ぎが悪いので大阪発のアメリカン航空でダラス経由でいくことにした。MapTourで18万円位だった、一応90 日で戻る予定だったが300日まで延長できるチケットだった。

7/8日頃に日本を出る予定だったが大阪空港に行ったら前日の台風で混乱していて飛行機が今日は飛ばないと言われて、唖然とした。HPで知り合ったコスタリカ在住の方が迎えに来てくれるハズだったのだがメールだけのやりとりで電話番号聞いてなかったので、姉に連絡してメールで連絡してもらった。姉にパソコン教えといてよかった。

一日遅れたお陰で飛行機の席がビジネスクラスになり異常に座席が広い上に隣にも誰もいなかったのでゆったりと旅が出来た。ここで配られたBose製のヘッドホンAcoustic Noise Cancelling headsetが優れものでスイッチを入れると機内の騒音がいっさい消えるという魔法の様な代物だった。びっくりして欲しいと思ったが300ドル位するそうで着陸する1時間前には回収されてしまった。

ダラスまで13時間くらいで乗り継いだがコスタリカ行きの便がまた1〜2時間遅れてまた焦った。迎えに来てもらってるはずなので、まずいと思った。ダラスからコスタリカまでは3時間くらいだったと思うがコスタリカ明かりが上空から見えたときオレンジ色の町の光が見えてとっても綺麗なのとついにラテンの国に来たと思って嬉しかった。

空港に着いてからも荷物がなかなか出てこなくてただでさえ遅れていたので焦ったが、外に出ると日本人のSr.Kaseさんとこれから一月泊まる家の息子さんのAllenが辛抱強く待っていてくれていた。Kaseさんはとっても優しいしゃべり方をするいい人だった。コスタリカの第一印象は東南アジアとか沖縄の町にとっても似ていると思った。ただ人がラテン人なだけだと思った。

夜11時頃家につくともう一人日本人がいると言われたが彼は頭痛で早く寝たとのことだった。部屋があと二つあったので綺麗そうな方を選んで荷物を片づけてシャワーを浴びて寝たが、シャワーは電気で暖めるDuchaというものでお湯の量を増やすと冷たくなるので微妙な調整が必要な代物だったが、これには今後3ヶ月どこの国でもお世話になった。


スペイン語学校

翌朝日本人のU君と一緒に学校に出かけた。彼も同じ学校でスペイン語を3ヶ月習うのだと言っていた。学校へはバスで行くのだがこの日にカセさんの奥さんのマルセさんが学校までついてきてくれて道順を教えてくれた。彼女もとても優しい雰囲気のいい人だった。

学校ではとりあえず4weekコースにして入学金込みで600ドル位払った。カードだとよけいに7%位手数料を取られたが、現金が無かったのでカードで払った。午前と午後のコースがあったが早起きしたくないので午後のコースにした。

学校には受付の秘書のDianaという女子大生がアルバイトしててとっても感じがよくてかわいい子だった。でも下に出てくるTatianaによれば「いっつも彼氏に電話してるのよ」との事だった。

サンホセ市内

クラス分けのテストを受け午後から授業が始まったがクラスメートはアメリカ人のJimとベルギー人のTelesaと同居の日本人のU君だった。Jimはニューヨーク出身の元精神科医(カウンセラー)で年金を有効に使うため物価の安いコスタリカで暮らすのだと言っていた。またアメリカの物質主義が大嫌いで、事あることにアメリカは金とものが全ての国であると批判をしていた。Telesaは娘のEvaがコスタリカの銀行で働いているので2ヶ月位遊びに来ているのだった。日本人のU君は僕と同様仕事を辞めてしばらく旅行するとの事でコスタリカで3ヶ月スペイン語を勉強してからその後更に1年くらい南米を旅行するのだと言っていた。

クラスの中では僕が一番スペイン語ができなくて、なんでこのクラスなのだろうと思っていたが、2週間くらいしてから何とかついていけるようになった、途中TelesaとJimは卒業していなくなり最後は僕とU君の二人だけになった。間に僕の誕生日がありTelesaがカードを送ってくれて嬉しかった。

住んでいたサンホセ郊外のGuadalupeという町

先生のTatianaはイタリア系のコスタリカ人でかなりリベラルな人でいろんなものをよく批判していたが授業はとてもわかりやすく、おもしろくてこの旅行中では一番いい先生だった。彼女は離婚していてそのせいかやたら男性批判を繰り返し、男が優しいのは最初だけで、すぐ浮気をする、男はSEXだけが目的だ、ラテンの男は浮気ばっかりでどうしようもない、結婚は二度としないなどと言っていた。実際町中でも二十歳位の若い女性が小さな子供を連れているのをやたら見た。実際に離婚は非常に多いそうでその原因はほとんど男の浮気だそうだ。またSan Joseの町も汚くて排気ガスがひどいとよく言っていた。実際それはそうだった。

授業中にJimがアメリカ人らしくわがままでゲームはやりたく無いとか、Tatianaが爪をかんだりしてるとそれは心に問題があるなどと言って先生を困らせていた。先生は本気でカリカリしていた。Jimが抜けたあとTatianaはUSは中米にひどいことをしてきた。アメリカ人(グリンゴと言います)は嫌いだと言っていた。でもJimとのやりとりは見ていて結構面白くていいコンビだと思った。

通学に使ったバス車内。サルサなどラテンミュージックががんがんかかってます。夕方などはお腹が空くのかおじさんとかがやたらピーナッツやクッキーを食べながら乗ってます。


その他小旅行など

自宅にサルサバーを持つ男

サルサとJaponesaでご満悦

僕がいた間、学校には日本人の女性がトータルで3人いたが一度皆でコスタリカのVolcan Poasというところにバスツアーで行った。コーヒ農場を見たり、山に登って火山の噴火口を見たり、川をボートで下りイグアナやナマケモノや猿などを見たりと盛りだくさんで結構楽しかった。ナマケモノは動かないというイメージがあったが結構動いていて、お尻をシャカシャカかいたりして意外だった。また生まれて初めて馬に乗って面白かった。

その前日にはKaseさんの大きな家の庭で日本人と近所の人の集まるバーベキューがありごちそうになったがKaseさんが自慢するとおり特製の肉がとても柔らかく美味しかった。マグロの刺身まで出て久しぶりに醤油を味わった。

バーベキューパーティーには日本の海外協力のお医者さんや技師の方が来ていたが、奥さんなどは日本よりコスタリカにずっと住んでいたいとコスタリカを気に入っているようだった。

Kaseさんの隣に住む方はバーテンになるのが夢だったとの事で自宅にバーをもっていてそこでサルサなどをかけてパーティーをするのだそうだった。コスタリカの町中にあるバーよりもよっぽど綺麗ですてきなバーだった。ここにはホームステイできるそうなのでラテンミュージックの好きな人はここにホームステイすると楽しいと思う。Kaseさんにメールで問い合わせれば手配してくれると思います。


ステイ先・生活など

Allen-ドライブに連れていってくれた

Allenの将来の義理の超やんちゃ息子と面倒見のとってもいいAiny。わがまま勝手な男としっかり者の女性というラテン世界の特性は子供の頃からのものであるとこの二人で確認した。

僕がステイしていたところはDuliaというお母さんと息子のAllenの二人暮らしのSan Jose郊外のバスで20分位のGuadalupeという町にある家だった。月220ドルでかなり安い部類だった。その上食事は朝と晩が出るとの事だったが、学校に早く行かないときは昼ご飯も食べてから行けと3食出た。

食事はご飯と野菜が主体でとってもヘルシーで美味しかった。ちなみにコスタリカは日本、フランスについで世界で3番目の長寿国らしく食事も家庭ではヘルシーなのだった。ただ町中では鶏肉Polloがやたら人気でファストフードや唐揚げ屋がたくさんあってコスタリカ人は手づかみでムシャムシャPolloを美味しそうに食べていた。ちなみに学校の先生のTatianaはPollo批判もしてあれは1月でこーんなに大きくなるのよ、餌にホルモン剤がはいっててとっても体に悪いといっていた。だから女の子は胸が大きいとかも言っていた。

時々ランチを学校の近くのSodaと呼ばれる食堂で食べたがとても美味しくて200~300円位で安かった。またCafeを頼むと砂糖が4~5袋位出てきてびっくりした。コスタリカ人は甘い物好きなのだろう。

Duliaは週末だけタコス屋を自宅の玄関先で開いていて週末はタコスが食事にでた。日本で食べるタコスとは違って挽き肉ではなくて引き裂いた肉が一杯入っていてビールと一緒に食べるととっても美味しかった。ちなみに缶ビールは100円位だったかな。Duliaは朝から晩まで家事とタコス屋とエイズ患者のためにボランティアで病院で働いていて常に忙しそうでとっても働き者だった。ラテンのお母さんという感じだった。一度DuliaがCaltagoという有名な教会に連れていってくれて、その帰りにDuliaのお母さんのところへ寄った。彼女のお母さんは一人暮らしをしていて僕の事を中国人かと聞いてきた。東洋系はみな中国人に見えるらしい。


Entertainment

コスタリカ唯一の綺麗な建物-Teatro National

ここでフラメンコの講演を2回見ました。内装も素晴らしく4階席だと天井の絵や内装がよく見える上安いのでお勧めです(ステージはそのぶん見にくいが)。中のカフェもとてもおしゃれです。

Victor Manuelleのチケット3,800コロン(1,300円位)

学校の目の前にあるダンス教室にU君と一緒に4回通った。僕はやたらと姿勢を矯正させられ背筋を伸ばして手を上に上げろといわれた。僕たち以外はコスタリカ人で皆かなり下手(だから習いに来てるんだけど)で日本人と大して変わらなかったが女性は割とうまかった。おばさんたちもサルサを習いに来ていてとても明るくてフレンドリーで感じがよかった。またサルサバカなコスタリカ人がいてVictor ManuelleのCDを聞きながらこいつがいいんだと踊りながら、唱いながら、喋っていて面白かった。Tatianaによればラテン人が踊れると言うのはステレオタイプで習わなければラテン人でも踊れないとのことだった。ただ日常的にサルサを聞いているせいで特に女の子は皆リズム感が良く腰をぐりぐり動かして上手に踊る。

ラジオでもテレビでもいっつもサルサの番組があるし素人ダンスコンテストみたいな番組が毎週あって素人のカップルがサルサやメレンゲの技を競っていた。また町中の洋服屋などでも馬鹿でかい音でサルサなどをかけていたが、アレハンドロフェルナンデスが大音量でかかっている古着屋があって異様に迫力があった。

滞在中になんとVictor Manuelleのコンサートがあり行って来た。場所はUniversidad Latinaという大学で学園祭のコンサートに呼ばれたようだった。前座がサルサやロックやレゲエのヒット曲を1時間半くらいやって楽しませた後、Victorが出てくると凄い人気でキャーと女の子たちが驚喜していた。身につけているネックレスや腕輪などをステージに投げ込み、それをVictorがいちいち拾って身につけていた。最後にはパンティーを投げ入れるひとまで現れてVictorがかぶるまねをして盛り上げていた。とにかくVictorがすこし腰を動かすだけで凄い盛り上がりだった。演奏もとてもタイトで良い意味でこなれていてとても格好良かった。ほとんど全曲で皆合唱しており踊るよりは皆叫んだり唱ったりしていた。カップルで来ている男連中はほっとかれてしまって割とクールに見ていてた。

RoseMaryとベルギー人のEva

コスタリカではSalsa55(サルサゴーゴー?)というサルサ専門ディスコとInfinitiというEl Puebloというところにあるディスコティカに2回行った。Salsa55は水曜日に行ったが生バンドがllorarasなどを演奏していた。平日のせいかあまりお客はいなかった。San Jose中心部は夜8時過ぎくらいになるとめっきり人通りが減ってちょっと不安になる感じだった。Tatianaによれば女性は夜は絶対一人では歩けないと言っていた。売春婦も場所に寄っては一杯いておかまの売春婦もいて女性と見分けがつかない。

El Puebloは中心部から一寸離れているためバスかタクシーで行く必要があるがここは夜遊びするのにとってもいい安全な場所だった。飲食店やディスコが多数集まったモールのような感じでとても便利で人もいっぱいいてお祭りのような雰囲気のあるすてきな場所だった。もっと早くここを知っていたらと後悔した。ここは2回行ったが2回ともTelesaの娘のEvaと友達のコスタリカ人のRoseMaryというお医者さんの娘さんとU君と行った。コスタリカ人は日本人よりやや巧いくらいのレベルであるが黒人系の人で異常に巧い人がいた。只コスタリカはほとんど白人の国で黒人はあまり見ない。もともとインディヘナもほとんどいなかったらしく混血はあまりされてないらしい。確かに他の中米の国と比べると皆かなり色白だった。


コスタリカを去る

最初は2ヶ月くらいいようかとも思ったが、キューバのガイドブックを現地で買ったら面白そうだったので1ヶ月でコスタリカの滞在を終えた。コスタリカは綺麗な国というイメージがあるがそれは自然が綺麗と言うことでサンホセなどの町は大して綺麗ではなく東南アジアの雑然とした町並みと変わらないので一寸イメージが崩れた、また高地にあるためそれほど暑くないので人々もとてもフレンドリーという感じでもなく町中でキューバの様に声を掛けられることは皆無だった。ただ物価は安く安全でそれなりにものも豊富で人々も一度仲良くなればとても良くしてくれるので住むにはいい場所だと思った。

Cuba1へ続く


旅行の参考になるホームページ

僕の為に宿と学校をを手配してくれたSr.Kaseのコスタリカに関するホームページがありコスタリカ旅行を考えている人には非常に参考になります。また僕と同時期に滞在していたなおこさんのホームページでもコスタリカでの滞在日記があります。そこに少し出てくる日本人男性2人と言うのは僕とU君の事です。

Welcome to Costa Rica-コスタリカ在住Sr.KaseのHP

Lonely Planet-欧米版地球の歩き方のページ、ガイドブックは地球の歩き方の10倍くらい詳しいが写真がほとんどないのでイメージがわかない。

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